象潟町

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名        所

名 称 所在地 由     緒

鳥海山(国定公園)

秋田・山形県境

みちのく最高峰、標高2,237.5mの鳥海山は秋田富士・出羽富士とも呼ばれ、昔から信仰の山として登山が盛んに行なわれてきた。
展望すばらしく、昭和47年(1972)鳥海ブルーラインの開通により登山の便がよくなった。

鳥海山ブルーライン

象潟町・山形県遊佐町

昭和47年(1972)開通象潟町より鳥海山五合目(標高1,150m)を通り山形県へ抜ける有料道路である。
全長34.9km。

鉾  立

象潟町

象潟駅から舗装道路で約40分、鳥海山五合目(1,150m)ここから東北一の名山鳥海山(2,237.5m)の頂上に向かう、鉾立山荘・稲倉山荘あり、休養・宿泊の便がある。

奈曾渓谷

象潟町小滝

昭和7年5月19日内務大臣指定文化財。
「新日本観光地百選」に瀑布の部で10位となる。
鳥海山の雄姿を望む金峰山境内を含む奈曽川上流の渓谷である。
瀑布と渓谷とを見る景観が雄大である。

奈曾の白滝

象潟町の小滝

昭和7年(1932)内務省指定、名勝天然記念物となる。
奈曽川の上流渓谷の熔岩絶壁にかかり、高さ33m幅11mの大瀑布である。
滝の上にある白橋のたもとに慈覚大師の作と伝えられる板碑がある。

小砂川公園と三崎公園

象潟町小砂川三崎

戌辰戦争(1866)の戦場。
所在不確定ながら有邦無邦の関跡など、歴史の散歩道・として、また鳥海山の熔岩が海に落ちこみ浸食作用によって形成されたきり立った崖と、松の木立の中に見え隠れする眼下の海が美しい。

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史        跡

名 称 所在地 由     緒

一里塚
(三崎山旧街道)

象潟町

慶長9年(1604)徳川幕府が街道筋諸藩に命じて築かせ、江戸日本橋を起点として36町(4km)毎に道路の両側に木を植えて標点としたいこいの場所でもあり、榎が植えられている非常に珍しいものである。

三崎山旧街道

象潟町小砂川字三崎

昔酒田より秋田に通る街道で大難所と称され、15世紀末日本海側の唯一無二の旧街道として道路変遷史上に重要な役割を果して、この小路に築かれた一里塚も交通史上高い価値をもつものである。

有耶無耶の関

象潟町

歌学書に名所として記された古関、その位置については、関村とする説と、三崎山とする説があり、また陸奥・出羽国境の現笹谷峠をあてる説も有力である。

塩越城址

象潟町一丁目塩越

元和9年(1623)由利十二頭の一人仁賀保挙誠(たかのぶ)が常陸国武田から一万石の大名として八部、寛永8年(1631)廃城となるまで城の存在は9年間その跡地に本荘藩塩越町奉行所が置かれた。

九十九島

仁賀保町
金浦町
象潟町

かつては一面の浅江で、九十九島、八十八潟と称される大小の島が点在し、その間に鳥海山が映し出される絶景であった。
文化元年(1804)象潟大地震が起こり地面の隆起とともに水が涸れ、当時の島は現在水田の中に点在している。

大須郷の方角石

象潟町大須郷

方角石は海岩の小高い丘に備え、雲や風向を見定め、日和の良否を判断するのに用いた重要な石である。
安山岩で直径34cmの円面に刻まれた方位目盛は十二支方位である。刻年銘のあるのは、県内7個のうちこのものだけである。

タブの群落

象潟町川袋

温暖帯の代表的な常緑樹の一つであるタブの規模が最も大きく、自然の状態がよく保存されている群落。

唐土石

象潟町

別名「えびす岩」象潟町一帯は文化元年(1804)の地震で地盤が隆起し、現在のような干潟を呈した。
そのありさまを物語るのがこの唐土石で高さ4.3m、幅5mの安山宕。
(町文化財)

青銅刀子

山形県遊佐町
女鹿字三崎山

戌辰戦争(1866年)三崎口古戦場から昭和29年(1954)11月23日「青銅製の小さな刀」が発掘された。
これは従来唱えられていた青銅文化の西日本渡来よりも、早い時代に東日本に渡来していたとも考えられる。

象潟図屏風

象潟町西中ノ沢

昭和33年2月5日県文化財指定。
六郷藩お抱え絵師牧野永昌筆、絹本着色高さ1,757m、長さ3.64m 象潟の古景図を描いた折たたみ式金屏風、典型的な牧野派の様式といわれている。

千手観音画像
絵画淡童形文殊像

象潟町虫甘満寺蔵

県の重要文化財・蚶満寺蔵絹本千手観音画像及び絵画淡彩童形文殊像。
(狩野探幽筆)

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神        社

名 称 所在地 由     緒

熊野神社

象潟町字一丁目

祭神、伊弉册命・事解男命他1神。
例祭5月15日。
本殿流造。
戌辰の役に荒川久太郎は同士の壮丁を募集し、各自髪を切り熊野神社に納め武運長久を祈願して三崎口に進軍した。

古四王神社

象潟町字五丁目

祭神、安閑天皇・伊弉册命・速玉男命・他2神。
例祭5月15日。
本殿流造。
白鳳時代(709)年役行者が諸国悪疫絶散の為当山に至り大和国金峰山より蔵王大権現を勧進し堂宇を建立した。

金峰神社

象潟町小滝

崇神天皇鳥海山に大己貴神小滝・少名彦神を祀り二神一体となす。
天武天皇少名彦神に仏神を習合して蔵王権現を祀る。
明治2年(1869)仏神混淆を廃し、金峰神社とする。
(昭和58年秋田県一級社に指定される。)

神明社

象潟町西中野沢

大日霎命・級長津彦命・級長津姫命。
例祭5月1日。
本殿流造。
当社は元神明社、級長津彦神社の両社で神明社は延久2年(1070)3月伊勢大宮より御分霊を奉じ宮殿を建立した。

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お        寺

名 称 所在地 由     緒

皇宮山 蚶満寺

象潟町字象潟島

古くは干満珠寺と称し、仁寿3年(853)慈覚大師の開創、神功皇后三韓征伐の折り当地に漂着されたとの伝説がある。
猿丸太夫伝説の井戸、西行法師の歌桜、時頼のつつじ、芭蕉の句碑数々がある。
(曹洞宗)

両玉山 光岸寺

象潟町田丁目塩越

天正17年(1589)弁財崎に冠石山石頭庵を結んだのが始まり。
その大円坊屋敷に移転、寛永3年(1626)本寺蚶満寺5世を請して開山となした。
(曹洞宗)

鬼峰山 太白院

象潟町関字ウヤムヤの関

創立応仁元年(1467)。
創めは天台か真言の密教寺院であったと伝えられ、本寺禅林寺13世住職が曹洞宗に改宗して再興開山となった。
(曹洞宗)

萬照寺

象潟町川袋字深田

創立慶長年間(1596〜1615)開山本寺禅林寺14世大和尚。
(曹洞宗)

仲峰山 雲昌寺

象潟町小砂川字砂畠

創建元禄年間(1688〜1704)元天台宗で賀春院と称し、観音森山上にありその後雲上寺として三崎にあり小砂川に移転するにあたって、雲昌寺と改めた。
(曹洞宗)

金清山 高泉寺

象潟町字小鳥島1

大正12年(1923)京都府船井郡桐之荘村にあった高泉寺を現在地に移転した。
(曹洞宗)

経王山 本隆寺

象潟町字四丁目塩越

経王山、本荘市の大法寺末として明治12年(1879)5月28日建立する。
(法華宗本門派)

盤谷山 龍泉寺

象潟町大砂川字菅

天正5年(1577)桃山時代初期に仁賀保町の本寺禅林寺12世大和尚が開山した。
(曹洞宗)

久遠山 蓮成院

象潟町字荒屋敷

久遠山創立延享元年(1744)開山。
岩城町亀田妙慶寺3世日正上人、妙慶寺に塔中蓮成院を営んで閑居し、のち明治になって象潟町に移された由。
(日蓮宗)

浄専寺

象潟町二丁目塩越

結柴庵と称する。
天平勝宝元年(749)魚名中納言藤原嘉匡木戸口に草創し、20世を経て後密教を捨てて浄土宗に転ずる。
寛永3年(1626)木戸口より横町に移転し堂宇を建立して今日に至る。
(真宗大谷派)

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行        事

名 称 所在地 由     緒

象潟まつり
(おくねり)

象潟町

熊野神社・古四王神社の例祭、5月15日の祭典。

子供の獅子舞
(初午行事)

象潟町水岡

生駒藩分家の伊勢居地領の水岡の名主が矢島藩から習い伝えたといわれる。
旧盆の13〜15日のほか豊作祝いなどに演じられた。
21番中1番の神舞いかぐらは、長男以外は舞わない習慣があったようである。

鳥海山日立舞

象潟町横岡

藩主生駒家について讃岐より伝わった。
豊作祈願と感謝の行事となって今日に至っている。
芸能価値の高いものとして県の無形文化財に指定されている。

延年チョウクライロ舞

象潟町小滝

鳥海山に住む手長足長という鬼を文徳天皇(850〜858)の命により慈覚大師が鳥海山大権現と小滝の蔵王権現に祈願して法力でこれを退治した。
その時演舞を奏して神恩に感謝のお祭りを奏した時の舞で今も毎年6用15日に舞い継がれている。

鳥追いナマハゲ
(嫁つつき)

象潟町大森

小正月15日夜子供達が、木の枝などの皮をはいだ杖状のものをもち、新婚の嫁の家に入って嫁の回りや嫁の体を軽くつつきながら唱えごとをいう。
嫁が早く出産し、婚家に長く居つくようにとの意味らしい。

上郷健康まつり

象潟町上郷

象潟町の約500戸の集落、上郷地区の診療所長宮原医師が、昭和46年から13年余にわたり診療にあたられると共に、住民主導の健康づくり運動をすすめられ健康センターを設立した。
同所では夏に住民総参加の健康祭が行われる。

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特        産

名 称 所在地 由     緒

芭蕉せんべい

象潟町

本荘市中町北嶋喜兵エ菓子屋が創始者であり、100年あまりの歴史をもつ。
象潟を訪れた芭蕪にちなんでつくられたものといわれている。

わかめせんべい

象潟町字一丁目
佐々木久紀

地場産わかめを主に10cm円型煎餅、約3か月の保存。

最中

象潟町字三丁目
伊之八本店

象潟大地震(1804年)以前に八十八潟と呼ばれていた潟にすんでいた貝を蚶貝とも呼ばれ、その形にちなんで商品化した菓子である。

カキ貝・アワビ

象潟町海岸

ハタハタくんせい

象潟町、入湖之間

季節魚、ハタハタをくんせい、県内外に供し好評を待ている。

にじます

大砂川・本郷・川袋

鳥海山の清水で大量に涌出する伏流水で養殖を行っており、大砂川・本郷では観光にも供している。

岩のり

象潟町川袋

近年農協婦人部がつくりはじめた。

アオサ餅

象潟町関

昭和54年上浜農協の指道を受けて関加工グループが発足。
冬期の作業として生産している。
干しモチの中にアオサを入れるのが特色で、このアオサの香りが観光寄らに喜ばれている。

鳥海石

象潟町小砂川

庭石としてブームを呼んでいる。

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