仁賀保町

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名        所

名 称

所在地

由     緒

仁賀保公園

仁賀保町平沢字清水

仁賀保家の陣屋跡で小さいながら四季それぞれの趣があり人々の安らぎの場となっている。
公園内には仁賀保神社・斎藤字一郎先生の銅像などがある。

牧場公園

仁賀保町馬場字冬師山

高原の一番高い処を中心に牧場があり、ひばり荘・キャンプ場・つり堀を有し隣接のいこいの森とは散策道路で結ばれ、健全なレクリェーションの場として親しまれている。

仁賀保高原

仁賀保町馬場字冬師山

鳥海山の北麓に広がる標高500m前後の丘陵地帯で、一望千里の広漠たる高原相をなしている。
県営仁賀保山牧場と畜産青年健設隊の経営する牧草地には点在する湖沼や花、そして数百頭の乳牛等の姿は牧歌的風景を満喫させてくれる。
又、眼下には日本海に浮かぶ飛島・粟島、そして大きく弧を描く男鹿半島が望まれる。

大潟溜地

仁賀保町伊勢居地字グミノ木森地内
馬場字冬師山地内

高原に点在する湖沼のうちで最も大きいかんがい用水池で発電にも利用されている。
周囲7kmの湖面は静寂な美しさを湛えリンドウの花がひっそりと息づく。
ハイキング・釣りなどに好適。

冬師自然環境保全地域

仁賀保町馬場字冬師山

高原で小高い丘が多く、湿原植生であるミズバショウ・ミツガシワ・ミズゴケ等の下層植生に上本としてハンノ木・ヤチダモの混交林が霊峰鳥海山と相まってすぐれた自然環境を呈している。
貴重な地域として県より指定されている。

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史        跡

名 称

所在地

由     緒

方角石

平沢町字長磯の丁刃森の頂き

漁師が海岸に立って風の方向を調べるためのもので江戸時代から使用されたとのこと。
全国でも50位しかないとのことである。
場所の丁刃森という字は調波森とも古文書にはあるそうである。

安倍館跡

仁賀保町両前寺字阿部館

陸羽国六郡を領有して勇名をはせた豪族安倍頼時の時代に、その出城として設けられた館だと言われている。

栗山舘跡

仁賀保町伊勢居地字土手の内

仁賀保町伊勢居地の山手にあり康平5年(1062)源頼義、頼家父子が、安倍貞任の弟鳥海称三郎宗任を降した。
宗任は九州に流されるも一族の一部は宗任のもつ領土的な関係のあった鳥海山麓に入ったと言われている。

山根館跡

仁賀保町院内字古館

応徳2年(1085)に由利太郎維安が由利郡を拝領して仁賀保の荘、院内に山根館を築いて居住し、郡内に8ケ所の陳代を設けて郡内を統治していたが、その子八郎維平・孫維久まで3代にわたって居住したと言われる。

丁刃丸の碑

仁賀保町平沢字長磯

由利政春は敗北色濃いとみて重臣村上帯刀に長子丁刃丸と次子吉尾丸の後事を託して自刃した。
根城館を脱出し平沢まで落ちのびた所で再び敵にあい、二子は別れ別れになる。
丁刃丸だけは乳母のお沢に守られて落ちのびようとするが、お沢の父に襲われ、お沢は死に丁刃丸は自刃した。
平沢丁刃森と別に清水にこの供養碑がある。

仁賀保陣屋跡

仁賀保町平沢字清水
(現在の仁賀保公園)

元和9年(1623)仁賀保兵庫頭が1万石を与えられ、長男に7千石、二男に2千石、三男に1千石を分地したが、二男三男分の計三千石格の陣屋を現在の仁賀保公園に築いて、周囲には濠をめぐらしたものである。

丸山館跡

仁賀保町馬場字丸山

池田豊後守は豪族として二万五千石を賜わり、塩越八十島に居住していた。
元和9年(1623)に仁賀保兵庫挙誠が一万石の大名として再び仁賀保郷に転封された時、八十島を仁賀保氏に明け渡して馬場村に丸山舘を築いて移ったと伝えられている。

待居館跡

仁賀保町樋日野字待居

栗山城主、常満律師の家臣の進藤長門と渡辺隼人は謀反により同城主を滅し、観応元年(1350)渡辺隼人は栗山城主となり、進藤長門は百日木の待居館に居住したと伝えられている。

平沢古館

仁賀保町平沢字清水

由利氏が由利郡統治の初期の館と思われる。
阿部竜夫著「由利の面影」によれば、由利維平時代〔維平の死は文治6年(1190)に郡内8ケ所に陣代を置き河岸4ケ所に浦要塞を築いた〕とあり、このなかに浦要塞としての平沢がある。

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神        社

名 称

所在地

由     緒

室内神社

仁賀保町平沢字宮の前

祭神伊諾命・伊再命・日本武尊。由来等いっさい不明とされているが、古くから旧室沢村産土の神として崇敬されてきた神社である。

斎藤神社

仁賀保町平沢字清水

斎藤字一郎先生の高風英徳を敬仰してその神霊を斎藤神社と称していつきまつるべしとして仁賀保神社の神段に併祀されている。
毎年7月12日に祭礼がとりおこなわれ町の風物の一つとなっている。

仁賀保神社
斎藤神社

仁賀保町平沢

祭神仁賀保伯耆守友挙霊神仁賀保兵庫守挙誠霊神斎藤宇一郎之命他一神。
例祭7月12日、本殿権現造。寛永2年(1625)9月12日創立。

鳥森神社

仁賀保町平沢字鳥森

祭神,日本武命・天照皇大神。
例祭6月27日(昔は5月1日)。

八幡神社

仁賀保町平沢

祭神輿田別命・息長足姫・命玉依比売命。
例祭5月15日。
本殿千鳥破風造。
創立は延暦年間以前で、住古より松田八幡宮と称し、本村の鎮守であった。

熊野神社

仁賀保町琴滞字家の後

村の産土の神である熊野神社は、宝治年間(1247〜1249)以前ということがわかるし、その位置についても鐙館周辺であったろうと口伝されている。
永祿元年(1558)3月15日に、神社は鐙館から低地の字下野に移されることになり、神体は新たに紀州の熊野神社から勧請してまつったと記録されている。

諏訪神社

仁賀保町田抓字中島
(旧石田村地内)

祭神は嶽御名方之命と八坂刀売命で、いわゆる出雲系の神である。
応仁元年(1467)仁賀保友挙の家臣安藤氏(現安藤又一先祖)が日頃信仰するところの信州諏訪神社よりご神霊を勧請してさて、主家の安奉を祈ったものとされている。

保呂羽神社

仁賀保町田抓字木の下

祭神羽字志別命・天照大神。この神社は保呂神社に神明社が合社されたもので、本宮の祭神は羽字志別命である。
神明社より古いとされているが創建の年代は不明である。
享保18年(1733)に鎮守社再建の記事がある。

稲荷神社

仁賀保町芹田

祭神事賀御魂大神・午置帆負命・天照皇大御神他2神。
例祭6月27日。
本殿権現造。
応仁元年(1467)大井伯耆守足利将軍義政公の命を奉じて信州より羽州に下り由利を鎮撫の為勧請された。

薬師神社

仁賀保町三森

祭神大己貴神・少彦名神・天照皇大神他8神。
例祭9月8日 本殿権現造。
天長9年8月8日創立。

香取神社

仁賀保町両前寺阿部館

祭神経津主命・天照大神。
天永2年(1111)3月3日、安部家先祖が創祀した神社で、神霊は下総国一の宮香取神宮から勧請したものである。

月読神社

仁賀保町院内字杉山

祭神月読大神、由来は一切不明であるが、天保6年(1835)に建立された記録だけは見える。

大沢神社

仁賀保町小国字上小国

祭神天照大神・日本武尊大山祗神。
康和年中(1099〜1103)鳥海称三郎本村山根館に居城し、後に小出村伊勢居地栗山舘に居住す。

神明二品神社

仁賀保町馬場字石水口

大日霊命・大山祗神・日本武命・二品法親王。創建のことはつまびらかではないが、冷泉天皇の安和年中(968〜970)にはすでに観音像を安置し奉祀していたといわれる。
例祭8月31日。

七高神社

仁賀保町院内

祭神天照大御神・大己貴大神・月読大神・他三神。
例祭6月17日。国家繁栄、五穀豊穣を祈願する所と言われる。

稲荷神社

仁賀保町畑

祭神稲倉魂命・天照大御神・大山祗命他2神。
例祭7月8日。
本殿流造。正徳元年(1711)3月10日創立。

延命地蔵尊

仁賀保町伊勢居地

拝殿の創建については遊仙寺住僧宥照なる修験僧が発願し、一方に喜捨を請うた勧進状によって、文化12年(1815)であることが判明している。
地蔵尊像は慈覚大師の自作と伝えられているだけに、地蔵の創祀は少くとも1,000年以上にさかのぼることになろう。

久斯神社

仁賀保町樋日野

祭神少彦名神・応神天皇・天照大御神・他5神。
例祭9月8日。
本殿流造。

釜ケ台山神社

仁賀保町釜ヶ台字堂の前

祭神薬師如来・観世音・山神。
祭日むかし4月8日、今5月8日。ご神体はお獅子様で、俗に釜ヶ台のお獅子様と呼ばれて遠近から参拝する人でにぎわった。
ご利益としては諸病平癒の祈願がかなえられるということである。

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お        寺

名 称

所在地

由     緒

安楽寺

仁賀保町平沢字坂の下

本尊不動明王。
本山高野山心南院「閉山の義は鎌倉雲の下山八幡宮・大塔宮両宮院家12院の内安楽院と申す院宗の弟子理智法印がはじめて平沢村へまかり下り、安楽院を開基仕り候由伝え承る」と町史にある。
(高野山真言宗)

竜雲寺

仁賀保町平沢字上町74

本寺禅林寺15世傑山泉英大和尚によって開山された。
寛永12年(1635)領主仁賀保家の命により現在地に移り翌年洞谷山竜雲寺と号した。
明治戌辰戦争で兵火にあい同27年現堂宇を再建した。
(曹洞宗)

藤井山 常泉寺

仁賀保町芹田字高機

創立永禄3年(1560)開山禅林寺11世光山泉葩大和尚(永禄3年12月18日遷化)、諸堂文政8年(1825)再建、明治戌辰兵火で焼失。
現堂宇26世全勇代再建。
本寺禅林寺。
(曹洞宗)

森嶽山 高昌寺

仁賀保町三森字浜田

創立元和元年(1615)。
閉山心応全達大和尚。
本尊釈迦牟尼仏。
もと弁天沼のほとりに建立されたのを現在地に移建された寺である。
北前船模型と方角石2基がある。
(曹洞宗)

賀祥山 禅林寺

仁賀保町院内字城前

創立応徳2年(1085)開山・直翁呈機大和尚。
本尊釈迦如来像。
境内には500年以上のモミの木があり町の天然記念物指定。
曹洞宗大本山永平寺派に属する加賀大乗寺の末寺である。
ここに油理太郎維安、仁賀保氏、皆川宗海の塞がある。
(曹洞宗)

園通山 陽山寺

仁賀保町小国字南野

開山禅林寺六世竹陰是音大和尚〔明応4年(1495)11月15日遷化〕本尊釈迦牟尼仏。
華麗な山門に二体の仁王像がある。
本寺禅林寺。
末寺金浦町の天松寺象潟町の雲昌寺、仁賀保町の道円庵である。
(曹洞宗)

仲野山 快禅寺

仁賀保町中山地字堀の内

享禄元年(1529)禅林寺10世現室自尊大和尚が開創した。
本尊は釈迦牟尼仏、脇仏が文珠、普賢の両菩薩像でその三仏体は寛廷元年(1748)に田抓村佐々木久左衛門の寄進によって安置された。
(曹洞宗)

宝積山 遊仙寺

仁賀保町伊勢堂地字谷地

本尊は不動明王。
本山は高野山心南院。
開山を日慶坊と伝えているが、創建等はいっさい不明。
その昔は地蔵別当として生駒家から寺禄を与えられたことも伝えられている。
(高野山真言宗)

長暁山 秀泉寺

仁賀保町畑字石畑

開山 厳舜雄大和尚。
本尊釈迦牟尼仏、天正5年(1577)仁賀保大和守の許しを得て本寺・禅林寺12世谿雄春雄の開創。
天明8年(1788)9月類焼に遭い、文化元年(1804)5月の再建と記録あり。
(曹洞宗)

妙正寺

仁賀保町平沢

法華宗本門派。
同宗は法華経本門の八品を正派とし、一に人品派と称する。
日隆が開祖。明治31年独立して一宗を成した。
(法華宗)

妙倉寺

仁賀保町両前寺

法華宗本門派。
(法華宗)

道圓寺

仁賀保町平沢字前谷地

寛政3年(1791)、同町の本寺陽山寺18世遠山義宗大和尚の創建である。
(曹洞宗)

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行        事

名 称

所在地

由     緒

奉納角力

仁賀保町平沢字清水
(仁賀保神社境内)

江戸時代より現在まで続いている行事で、7月12日、由利郡一円は勿論秋田・金足方面からも参加される仁賀保神社への奉納角力である。

伊勢居地番楽

仁賀保町伊勢居地

例祭である7月24日の宵祭に奉納する番楽は、安産と子供の身体堅固、五穀豊穣を祈って行われたものである。
その起源については定説がなく、鳥海弥三郎とか或いは源義家が蝦夷征伐にきた際舞わせたのがはじまりであるとか、さまざまに語り伝えている。
昭和48年県無形民俗文化財指定。

釜ケ台番楽

仁賀保町釜ケ台

4月8日(旧歴)の例祭に奉納される神楽は、随分古い時代から受け継がれてきたが、その起源はつまびらかでない。番楽をも含めてその系統は、伊勢居地や由利町屋敷のものと同系とされている。
昭和48年、県無形民俗文化財指定。

冬師番楽

仁賀保町冬師

昭和39年に秋田県無形文化財に指定された番楽(通称獅子舞)である。

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特        産

名 称

所在地

由     緒

味噌・醤油

日南工業株式会社(商業用)
仁賀保農協(家庭用)

仁賀保の良質米から生まれる秋田のふるさとの味が香る味噌・醤油。

はたはたずし

仁賀保町平沢

日本海浴岸でとれるはたはたを主原料とした飯ずしで昔は正月料理として作られた。

カニ・エビ

由利海岸

ワクリガニ・アカエビ・ガサエビ(クロザコエビ)が美味で観光客によろこばれている。

いちじく

仁賀保町堺・立居地

昔は家庭用果樹としてどこの家でも作られていたが現在は加工用として栽培されている。

仁賀保町畑

大根

仁賀保町馬場

農家の副業として生産され農協を通し出荷している。

銘酒飛良泉

仁賀保町平沢

100数十年の伝統をもち、全国酒造老舗としては最上位にある。

本荘由利ササニシキ

仁賀保町全域

恵まれた自然環境で生産され、米の味には定評がある。

金子瓦

仁賀保町両前寺

巾山の土を使い、焼瓦として伝統的な歴史がある。
陶器瓦は霜や雪を吸収せず雪国の冬にも強い凍損性能に特に優れた屋根材である。

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